
『必要な時に、一つの何気ない言葉。』ep.11
「私たちは利己的であるから。」
最近、外国人のお友達が出来まして。
文化の違いを通して、日本という国の文化に改めて気付かされたりして面白いんです。
例えば、日本語が難しい理由は文法が全然違うから、という話になった時に。
確かに、英語で主語は“I”しかない。
会話も、「“私は”こう思う。」とか、それが誰の意見かがとてもハッキリしている。
対して日本は。
私、僕、俺、あたし、我、ワシ、うち、わい、おいら、拙者、小生、朕、あっし、吾輩、自分。
あーし、あちし、あたい、わっち、わらわ。などなど。
まず、主語にあたる言葉だけでも沢山ある。
そして、会話の時に主語がなくても伝わったりする。
“自分自身”の意見をハッキリいうのはあまり良しとされておらず、その理由は、、何なんでしょうね。
同調圧力。他所様に迷惑をかけちゃいけないから。責任転嫁出来なくなるから。みんな一緒なら怖くない精神。枠にはめた方が楽だから。
あとは、年功序列の文化もあるかも。お上の言うことは、絶対!
自分の意見?若僧が生意気だ!
そんな話をしていた時に、その外国のお友達が言った言葉。
利己的…なのかなぁ。
結局、自分以外は全員、もれなく他人である以上。
自分がどう思ってどういう意見を持っているかは、言葉にして伝えていかない限り相手には絶対に伝わらない。
察しろ文化も大事かもしれないけれど。
本当に大切なことは言葉にならないかもしれないけれど。
けれど、言の葉という素晴らしい文明の利器がある以上。
その利器は大いに扱っていくべきだと思う。
だから、ありがとうってちゃんと伝えるって大事なんだ。
だから、ごめんなさいってちゃんと伝えるって大事なんだ。
いただきます。ご馳走様でした。命に感謝。
何事も当たり前じゃないし、伝えない限り絶対的には伝わらない。
わたも、利己的かもしれないけれど、こうして言葉を紡いでいるよ。
だってしょうがないじゃない。
こんな素敵な言葉たちに出会ってるんだよ!って、聞いて欲しいし。その言葉たちを自分の子供のように大切に心の宝箱にしまってあるのを、知って欲しいし。
そうして、そこからなにか誘発されて生まれてくるものがあったら、面白いかな、って。
こんなわたしにいつもお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
でもでも。
わたしの物語は、わたしの物語。押しつける気は勿論ないよ。
あなたの物語は、あなたの物語。誰も侵略できやしない。
これからも境界線をきちんと守って、みんなで正しく遊びたいなぁ。

